私は生まれながらの大工です。父親が大工をしています。現在も現役で頑張っていますが、目もショボショボと見えずらくなって来ておりそろそろ引退なのではないでしょうか?その父親の後ろ姿を幼少期からいつも見て育ちました。自宅すぐ横には父親の作業場があり木材を手で一つ一つ丁寧に加工する風景とその音、そして木の心地良い香りに包まれ育ちました。私の子守唄はノミやトンカチやカンナの音でした。その様な環境の中で育ち、高校卒業して少しばかりヤンチャの方へ脱線はしましたが、何のためらいも疑問も持たずにあたり前のごとく自分も大工になりました。最初の何年かは父親について手ほどきを受けました。現場はとても新鮮で楽しかったです。しかし、その内自分にも責任が生じて 来 て楽しさと言うより緊張感とやり甲斐が増えてきました。お客様が喜んでくれる事が何よりの達成感になりました。そういう時の夕食時のビールの味は格別ですね。そして現場に出て経験すればするほど木材は奥が深い事がわかってきました。良い材質の木材ほど奥が深いです。探求し、行動し、失敗し、また探求を繰り返しても追いつきません。大工として現役の間は、職人としてのゴールはないと思っています。追求すればするほど深さに広がりが出てきます。当然その分、悩みや葛藤も増えています。
親父の次に尊敬している人に西岡常一と言う人が居ます。もう亡くなっていますが、法隆寺(奈良)や法輪寺三重塔(京都)、薬師寺金堂・西塔(奈良)などを解体修理や再建し、『最後の宮大工』と言われた人です。その西岡さんやお弟子さんが書いた本を何冊か読みましたが、先人の大工職人の材料(木)に対しての意気込みや熱意はとても共感が出来、更には木材本来の良さを活かす手刻み(ノミやカンナを使い手作業で加工する事)の工法を含めた知恵と工夫の数々を書いていて脳天に電気が走るほど衝撃を受け、自分もガンバらなければ、と思った事を今でも覚えています。
私の師匠は親父です。その親父が晩酌時に『今の大工は電動工具ばかり使って、ノミもカンナもよう使い切らん!ありゃ、大工づらしたニセモノ大工じゃ!』と愚痴る事があります。
私も肝に銘じて気を付けないといけないです。機能的で時間効率が良い電動工具に頼る事がついつい多くなっています。現在の木材は木材レベルじゃなくメーカーが加工した材料が多くなっており、オモチャのLegoブロックと同じように簡単にガチャガチャと組み立てられるようになっています。見た目もとっても綺麗に仕上がります。それらが良いか悪いかは一長一短あると思いますが、私は『昔ながらのノミもカンナも使える上で、電動工具も利用する』という大工を目指し極めて行きます。大工職人として道半ばだと思いますが、職人としてのゴールがあるとすれば一歩でもそのゴールに近い位置で職人生涯を終えたいと思っています。そしてそのつもりで日々を生きています。